10年振りくらいに読書感想文を書いてみたい
突然ですが皆さん、「大人の読書感想文コンクール」ってご存じでしょうか。
それはもう文字通り、大人が書いて応募する読書感想文のコンクールなわけです。
grownups-bookreport.session.jp
季節はちょうど夏真っ盛り。8月に入って1週間が経った頃ですので、世の小中高生たちは夏休みの宿題をがんばっている頃なんじゃないでしょうかね。まあ私は最後の最後まで全然やらずに過ごしてましたけどね。
夏休みの宿題の中でも世代を超えて愛されて(あるいは憎まれて)いるものの筆頭が読書感想文ですよね。私も苦労した思い出がありますし、苦労した人は多そうです。
そんな読書感想文、大人になった今ならもっと上手に書けるのでは?と思うわけですよ。
たまたまTwitterで大人の読書感想文コンクールのツイートを見かけて、これは面白そうだと思い、読書感想文を書いてみようかなと。最後に書いたのが確か中学生の頃だからもう10年も前ですね…。
読書感想文っていう話題は世間的にも夏休みでタイムリーですし、本屋にも読書感想文のコーナーがありますし、文章を書く練習にもなるだろうし。いってみよーやってみよーって感じです。
本自体は準備してたんですよ、『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』と『金曜日のヤマアラシ』の二冊。
『金曜日のヤマアラシ』はまだ読んでないんですけど、『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』は読みました。ただ、『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』に関しては"感想"ならともかく、"読書感想文"は私には書けないような気もしてきた…んですけどね、ハイ。
読書ノートというか感想みたいなのはブログに書いて載せるつもりです。書評とか感想みたいなのと読書感想文とは全くの別物ですからねぇ。
まあ『金曜日のヤマアラシ』は本屋の読書感想文コーナーに置いてあったし、こっちは読書感想文いけるやろ!
あと、ちょっとした野望として、エロ漫画で読書感想文を書いてみたいっていうのがあります。
いや、そもそも漫画はダメだったっけ?まあいいや、書けたら書きます。
というわけで、冒頭で挙げた「大人の読書感想文コンクール」は9月30日まで応募可能ですので、大人の皆さんはぜひ、応募してみてください。
読書感想文に向いてるエロ漫画を知ってたらコッソリ教えてくれよな!
ラノベの表紙がエロくなくなってる気がした話
久々にラノベの棚を見てみた
三連休も飽きもせずに本屋に行ってました。やっぱり店によって品揃えが違っていて面白いですね。
今回は本を買いに行ったというより、なんとなしに眺めに行ったような感じです。
いつもはビジネス書や新書の棚を見て、資格の本とか語学の本とか適当に見て帰るわけですが、ふと、「たまには児童書とか漫画とかラノベとか見るか…」と思い立ちました。だいぶ季節も夏めいてきましたからね、少年時代の郷愁に駆られたわけですよ。
ほとけ少年は小5の頃から高校くらいまでラノベ愛読者でしたのでね。そういや最近ラノベ読んでないな、と思いまして。
何の気なしに棚を見ていると、「一時期流行ったやたら長いタイトルのラノベは減ったのかな」とか「『異世界』っていうジャンルの棚があるのか…」とか面白い気づきがたくさんありました。やっぱり今の中高生はこういったラノベを読んでるんですかね。
そして『いつの間にかチュートリアルおじさんとして人気者になっていた』を手にとって眺めているとき、「なんか……今のラノベ、肌色少なくね?」という、思わぬ方向の感想が出てきました。え、我ながらどういうこと?
考えてみれば、私が十代の日々を張り切って消費していた頃は、ラノベといえばアニメっぽい美少女!で、なんだかエッチなイメージがあったような気がします。ラノベを手に取ってるところをクラスの非オタに見られたら割と怖いというか。ちょっと背後を気にしながらページをめくるような。……考えすぎですかね?
まあとにかく、当時の私にはラノベはそこそこに刺激的だった記憶があるわけです。しかし、最近になって久しぶりに見たラノベたちはなんだかエロくなくなってる感じがしたんですよね。果たしてこれは私がエロいものを見過ぎて慣れてしまったからなのか、それともラノベのほうが変わってきてるのか。ちょっと気になっちゃったので、軽く調べてみましょう。
ラノベの表紙を見てみよう!
ラノベと一口に言っても多すぎるので、とりあえず電撃文庫、スニーカー文庫、MF文庫J、富士見ファンタジア文庫の4種類で見ていきたいと思います。ラノベの分類に関しては曖昧な部分もありますし、みなさん一家言あるかと思いますが、その辺りはあまり深く考えない感じでお願いします。すまん。
なお、ラノベの表紙とエロ、という話題に関して、以下のブログを参考にしております。ありがとうございます。
2022年7月編
まずは今月の最新刊がどんな感じかということで確認していきましょう。リンクを貼っていきますので、よかったら見てみてね。
いきなり下乳やんけ!?
『刻をかける怪獣』気になる。
露出はやはり少なめな気がする。
『ランジェリーガールをお気に召すまま』は表紙だから露出抑えた説がありますかね……。タイトルからして下着の話だしね。
うーん、エロいやつはエロい……のかも?
2012年7月編
では次は10年前のラノベを見ていきましょう。たぶん私が一番ラノベ読んでた頃です。
10年も前だと絵柄の流行りみたいなものを感じますね。
太ももに恵まれた月だと思います。あと『サマーウォーズ』があることにちょっとビビる。10年前か……。
ファンタジア文庫といえばこんな感じだったね!っていう表紙群。タイトルでっかく女の子ドーン、みたいな。生徒会の一存シリーズとか懐かしいなあ。
ピンク髪多くないですか。
結果……
よくわからんね!
結局表紙がエッチなやつは今も昔もエッチだし、そうでないやつはそうでないって感じがします。
エロさに関しては……あんまり、変わってないんじゃないかなあ。
ただ、明らかに「はだけてます!」って感じの絵は今月のものには無かったかも?まあ下着のやつとかあるので今更何をって感じですが……。
どうでもいいんですけど、10年前は妹がどうのこうのっていう作品多かったですね。
あと、今も昔も太ももがエッチな表紙多いですね。
私の気づきは一体?
実のところ、表紙のエロさが少ないように感じたことには別の説明がつくと考えています。
それは、「小説家になろう」の存在です。
「小説家になろう」とは、言わずと知れた小説投稿サイトですね。昨今では投稿された小説が書籍化されたりアニメになったりと、本当に小説家への道が開けるサイトとして人気を誇っております。
ざざっと調べた結果、2010年に初めてサイト内の作品が書籍化され、その後2014年頃から書籍化作品が大幅に増加。現在では年間2000作品以上が書籍化されているようです。
(参考:小説家になろう - Wikipedia , 小説家になろう書籍化作品数推移 – 書籍ランキングデータベースニュース)
2020年頃からは小説家になろう出身の作品が数多くアニメ化しており、同サイトの知名度もうなぎ登り。小説家になろうの書籍化作品が本屋の棚一面に並んでる光景も、今や全く珍しくないですね。
そして、小説家になろうに投稿される作品は「エロ禁止」です。
エロ作品は男性向けがノクターンノベルス、女性向けがムーンライトノベルスで、エロが主目的ではないけどエロいシーンがある作品はミッドナイトノベルス、というふうに別のサイトに投稿することになってます。
ここに「最近のラノベは表紙がエロくないな」のカラクリがあると思います。
従来からあるラノベはそんなに変わってないと思うんですが、ラノベの棚のすぐ横に置かれがちな「小説家になろう出身の作品群」は10年前にはほぼありませんでした。そして、なろう作品はエロ禁止なので、当然表紙もエロ抜きになるのが自然ですね。
これらの「昔から変わらずエロいやつもエロくないやつもあるラノベの棚」と「比較的新しくてエロ要素が希薄な、なろう作品の棚」を一緒に眺めると、あたかも昔と比べて、ラノベ全体のエロ率が下がったかのように感じるのです。
これまで「エロ+エロくない」のように見えていたジャンルが、「エロ+エロくない+エロくない(なろう作品)」のように見えるので、ぱっと見は全体的にエロくなくなった感じがするんですねぇ!
これが真実だ!(名探偵)
……なろう作品って「ラノベ」でいいんです?ワカラン
結論
こんな感じかしら。
たまにはこんな風にラノベを振り返ってみるのも面白いですね。
個人的には表紙のこと以外にも、「昔は妹モノが多かったなあ」ということと、最近は「職場の後輩がどうのこうの系が出てきた…?」っていう感じがしてます。10年前には無かったでしょ、こういうの。
ほかにも居酒屋なんたらとか、異世界でスローライフとか、なんか、ラノベって書く方も読む方もオッサン化してきt(ゲフンゲフン)
ではまた!!!
NTRって何が良いの? 4つの視点から考える
- NTRって?
- NTR作品は"奪う側"の目線から見ている?
- "彼女"の視点から見たNTR
- 本能!?防衛機制!? "取られる側"から見たNTR
- "その他"とは――読者という名の神視点
- おわりに あなたはどの視点ですか!
NTRって?
皆さん、"NTR"ってご存じでしょうか。
NTRとは
恋人や妻を寝取られた男、もしくはそういった「寝取られ展開」の略語。
主人公が恋人や妻を他の男に(性的な意味も含めて)奪われる、いわゆる「寝取られ」の略称、隠語であるが、ビッチ萌えやエロ堕ちなどとジャンルを共有している場合も多く、その定義は曖昧である。
https://dic.nicovideo.jp/a/ntr (ニコニコ大百科より)
です。
ざっくりと言ってしまえば、恋人がほかの誰かに(性的な意味で)奪われること、って感じでしょうかね。
さて、このNTRこと「寝取られ」ですが、結構な嫌われ方をしています。
ちょっとTwitterで検索してみた結果がこんな感じ↓
精神状態の心配?をされるレベルなんですね…。三番目の人なんか「NTR好きを隔離しろ」ってかなりの過激派です。どこまで本気で言っているのかはわかりませんが、なんにせよNTRにいい印象は持ってなさそうな雰囲気が感じられますよ。
自分や他人の性癖に対して「ヤバすぎだろwww」「異常すぎるwww」と冗談交じりに言うのはよくある光景ですが、なんとなくNTRに関してはガチというか、本気で毛嫌いしている人が多いような気がするんですよね。これに関しては「不意打ちNTR」の存在があるのかな、と思います。
NTRというのは何か一定のプレイを指すわけではないし、どちらかというとキャラクターの設定とか関係性とか、作劇的な問題に関わってくるような事柄です。それゆえ、要素としては幅広く様々な作品に入っていけます。その結果「純愛かと思ったらNTRやんけ!」という事故が発生して、嫌われやすくなるのだろう、とワタクシは予想しております。
「百合かと思ったら男が間に挟まろうとしてくる」とか「おねショタかと思ったらクソガキのショタおねだった」とかも同様に、不意打ちでの遭遇が多いために嫌われているのかもしれませんね。
しかしながら、世の中にNTR要素のある作品はごまんとありますし、NTRを愛するユーザーの方も大勢いるわけです。昨今の18禁作品でよく見られることはもちろん、直接的なエロでない作品も含めれば、NTR要素のある作品は古今東西、日本でも諸外国でも多く見られるジャンルの作品でもあるのです(源氏物語とかね)。
一体全体NTRとはなんなのだ?
これまで幾人も考えてきたであろうこの疑問を、私も考えてみたいと思います。
なお、以下では話を単純にするため、「NTR作品」とは「恋仲にある男女のうち、女性側を第三者の男が性的な意味で掌握する、性的要素を含んだ作品」を指すこととします。
よろしくおねがいします。
NTR作品は"奪う側"の目線から見ている?
私は、NTRにおいて重要なのは見る側の目線・視点であると考えています。なぜなら、NTR作品は誰の視点で見るかによってその性格を大きく変えるからです。
今回はNTRを4つの視点から見て、それぞれの「NTRの良さ」について考えてみたいと思います。
まずはこちらをご覧ください。
NTRもの好きな方、作品をどの視点から楽しんでいますか?
— 🔞はぐはぐ🔞 (@RinjyuCircus) 2022年6月14日
こちらははぐはぐさんという方がTwitterで実施した「NTRを見るとき、どの視点から見ているか?」というアンケートです。票数は6,400票ほど。Twitterは似た嗜好を持つ人が集まりやすいSNSですので、どこまでNTR好きの実情を反映しているのかはわかりませんが、その結果は非常に興味深いものとなっております。
アンケートには「取られちゃう側」「彼女視点」「奪う側」「その他」の選択肢があり、ものの見事に票が割れておりますが、そんな中、僅差で勝ったのは「奪う側」。
えっ、寝取"られ"って呼ばれてるのに奪う側視点で見てる人が一番多いの?
そうです。NTRは奪う側の視点から見る、という人は多いのです。私個人としては意外な結果ですが、しかし、考えてみればNTRにおいて一番オイシイ思いをしているのは間男のはずなので、NTR好きな人がそちらに感情移入するのはある種当然かも知れませんね。
奪う側の視点から見るNTRに関して、面白い指摘をしているブログを見つけたので紹介します。
私なりにまとめますと、こちらのブログでは「NTRを好むユーザーは寝取る側に感情移入しており、感情移入するポイントは①隣の芝生は青く見える理論、②承認欲求、の2つである」ということを言っているようです。
他人の女は魅力的に見えてしまうし、他人の女から「彼氏/夫よりイイ!」と言われると承認欲求が満たされるので気持ち良くなる。というわけですね。
なるほど、これは確かにNTRの大きな魅力であると言えそうです。
"彼女"の視点から見たNTR
でもちょっと待ってください。確かにアンケートでは間男視点が一番人気でしたが、ほかの選択肢に圧倒的大差をつけているわけではありません。
はぐはぐさんのアンケートで二番目に票数を集めたのは「彼女視点」で、間男視点との差はたった3%ほど。
これも十分なシェアを獲得していると言えそうです。
なんなら私もNTRを見るときは彼女視点から見ることが多いので、よくわかります。
彼女視点から見るNTRの良さって何?という点ですが、それはもう「快楽に堕ちていく心の動き」そのものでしょうね。
抵抗しつつも気持ちの良い方へ堕ちていく彼女視点
— こよみん (@coyomin_s) 2022年6月14日
人間は基本的に気持ちのいいことが好きです。
ほんとうは○○しなきゃいけないのに…
ほんとうは○○してはいけないのに…
そんな考えがありつつも、気持ちよさに負けてしまう、という経験は多かれ少なかれ皆さんお持ちではないでしょうか。二度寝とか、やるべきことの先延ばしとか、ついおやつを食べ過ぎちゃうとか。
彼女視点のNTRはそういった背徳的な気持ちよさの延長にある気がします。
だんだんと気持ちいい方へ、気持ちいい方へと流され転がり落ちていく心情の在り方に私は大いに興奮しますね。
本能!?防衛機制!? "取られる側"から見たNTR
続いて、NTRの取られる側、"彼氏視点"です。
NTRと聞いて真っ先にイメージするのはこちらの視点ではないでしょうか。アンケートでは意外にも三番手に甘んじましたが、22%の票を集めているので特別に少数派というわけでもなさそうです。
「彼女や嫁を奪われているのに何がいいのだ」
という疑問はもっともですが、取られる側の良さにも色々な説があります。
メスを目の前で奪われたオスは、自身の遺伝子を残すため、及び他のオスの遺伝子を残させないようにするために本能的に興奮するようになっているのだ。とか。
NTRによって発生した心のダメージを和らげるために防衛機制がはたらいて興奮するのだ。とかですね。
これに関しては一人のNTR好きによる述懐が、痛ましくもわかりやすかったのでご紹介。
なぜNTRという度し難い変態的な性癖が産まれたのか。そしてNTRは我々に何をもたらすのか。いや、もたらすどころか奪われてんだよなぁ。だが、それが良い。という考察
彼の体験は寝取られというよりは片思いからの失恋ですが、小学4年生の彼にとっては衝撃的な体験だったのでしょう。
Twitterを見ている限りだと、現実で寝取られを経験した人はNTRを好きになるか蛇蝎のように嫌うようになるか、そのどちらかが多いような気がします。気がするだけかも。
いずれにしても、防衛機制によって興奮するようになるという説は一定の説得力があるような気がしますね。
"その他"とは――読者という名の神視点
アンケート最後の選択肢、"その他"についても考えてみましょう。
いや、その他ってなんやねん。と言いたいところですが、この視点には私も覚えがあります。いわゆる「神の目線」です。
その他に投票しました。
— タイマン (@gedatu19) 2022年6月14日
全体の観察者として楽しんでいます。
その他に投票しましたが完全に誰にも移入せずに見ています
— マツオカたつあき (@tatsuaki_chaos) 2022年6月14日
便宜上、エロ漫画でのNTR作品を想定して話を進めます。漫画の読者は登場人物誰かの視点だけでなく、紙面に描かれている内容全体を俯瞰できる「神の視点」を持っています。読者はこの視点により「登場人物Aだけが知っている事実」と「登場人物Bが胸に秘めている感情」の両方を知る、みたいなことができるわけですよね。
この神視点をNTRに取り入れるとどうなるかというと、全員の感情を把握しつつ状況そのものに興奮することができるようになるんです。
間男を見て「あーこいつ今気持ちいいんだろうなあ」と考え、彼女を見て「快楽に負けないでー」とエールを送ったり、彼氏を見て「お前早くなんとかしないと彼女取られるぞ!はよ!おい!」とせかしてみたり。こういった楽しみ方ができます。さながらデスゲームをモニター越しに見ている富裕層のよう。
女の子の揺れ動く心情と結局性を優先していく様がエッチで良いんですよね。感情移入してるわけではないと思うので神様視点ですかね
— Hirossann (@Hirossann) 2022年6月14日
私がNTRを見るときには上のツイートのような見方をすることが多いですね。
心の中で「彼女さん、どうなの。負けないで、あーほら頑張って。あー、あー……ハイ、堕ちたー!今君の心堕ちたよー!」ってな感じで彼女側の心情に注目して見るのが一番私の性癖に近いです。
おわりに あなたはどの視点ですか!
はぐはぐさんのツイッターアンケートの結果を基に、それぞれの視点から見たNTRについて考えてきました。結果、NTRと一口に言ってもその見方は様々で、一筋縄にはいかないということがわかってきた気がしますね。
NTRは登場人物たちの目線、どの立場に拠って立つかということに関して非常に興味深いジャンルだというふうに思います。
ところで、4つめに挙げた「神の視点」に関してなんですが、我々が読者であり視聴者であり消費者である以上、この視点からは逃れられないと私は考えています。
登場人物の誰に感情移入して物語を進めていこうが、最終的にそこから何かを感じ取るのは他ならぬ物語の傍観者、我々自身なのですから。登場人物に対して「こいつ今こういう気持ちだろうな」と感情移入しているとき、「こいつ今こういう気持ちだろうな」と考えている"私"自身は透明化されがちですが、この"私"は消えてなくなったりはせずに(多くの場合無自覚のうちに)物語と関わり続けています。
私はNTRに関する考察を進める中で、このメタ認知たる"私"の「神の視点」を再発見することができました。これぞ今回のブログにおける私にとっての最大の収穫と言えます。いえーい。
今回は全体的にNTRを好意的に見る方向で話を進めてきました。私自身がNTRをそんなに嫌いじゃないから、っていうのもありますけど。
いつかNTRが大嫌いな人の意見もじっくりと聞いてみたいです。
最後に、NTRを愛する皆さん、NTRを憎む皆さん。NTR作品は登場人物の思惑が交錯する奥深い作品群でもあると思います。これまで見てきた4つの視点、自分はどの視点に近いのか、一度考えてみてください。そして、敢えて意識的に別の視点から物語を味わってみてください。
何か新たな発見があるかもしれませんよ。
抜ける文章について考えていたら、汚れた自分に悲しみを覚えた話
はじめに
諸君、文章だけで抜いたことはあるか?
私はある。
pixiv小説のカルチャーショック
今やスマホやパソコンでピッポッパッとすれば、健やかな青少年たちに見せるのは憚られるようなコンテンツがいくらでも出てきますね。イラストや漫画ならば無料で公開されているものも数多いし、有料の動画にしたってワンクリックですぐ買うことができる。いい時代になったものです。
かくいう私も、今では自身の収集した"叡智"のほとんどをスマートフォンにしまいこんでおります。私が死んだら誰か代わりにデータ消しといてくれ。
R-18的にシェアが広いのはやはり動画、漫画やイラストだと思います。ほかには、最近だと音声作品も市場を拡大しておりますね。
とある日、そういえば、と思い立って日課のpixiv漁りをしていた私は手を止めました。
「絵も音もいいが、文章はどうなんだろう。」
pixivというサイトにはイラストだけでなく小説も投稿できます。そして、小説にもイラストと同様、全年齢とR-18の区分分けがされているのです。
いざ!とR-18小説のページに乗り込んだ私は目を奪われました。
「なんと…みんなメチャクチャやってんな…!?」
そこにあったのはすごく下品な内容のものや設定が突拍子もないもの、ほとんどが擬音と喘ぎ声で構成されているもの、稚拙ながらにとんでもないリビドーを感じさせるもの、と様々。それらのいくつかを感嘆しながら見ていると、「こんなにハジけちゃっていいんだ!」と、なにやら勝手に解放されたような気分になりました。
考えてみると、R-18の文章といえば、やはり思い浮かぶのは官能小説。彩り深い語彙と巧みな言葉遣いによって読み手を情と欲の世界に誘い込む、一種の芸術。そんなお堅いイメージが、自分の中のどこかにはあったのだと思います。
しかし、ネットの海に放たれたこれらの文章はどうか。気取ることなく、ただまっすぐに、己のダイレクトな欲が表現されている、そんな作品がいくつもありました。もちろん、ただメチャクチャなわけではなく、読みやすい文章、興奮しやすい文章になるよう技巧を凝らしたものも多数。
文章ってのもいいじゃないか!
いくつかの作品を読み終えた私は、その日はスッキリとした気分で眠りました。
文章で抜いた経験
思い返せば、私が文章で抜いた経験は、決してpixiv小説が初めてではありませんでした。今までに2回、文章だけで抜いたことがあります。
その文章とは、『偽物語(下)』と『ロリータ』です。
まずは『偽物語(下)』について。この作品は『化物語』から始まる「物語シリーズ」の一冊で、シリーズ的には五番目に発売された書籍になります。発売日は2009年6月。もう13年も前なのかあ。
ただし、私がこの本を読んだのは偽物語がアニメ化する少し前のことでした。2012年くらいかな?当時の私は思春期の真っ只中。西尾維新の文体に憧れる、痛いオタク時代を過ごしていた頃のことです。
さて、原作を知っている人ならば当時の私がどこで抜いたのか薄々感づいていると思います。そう、火憐ちゃんに歯磨きをする、例のシーンです。
詳細は省きますが、主人公の阿良々木暦が妹の火憐の歯を磨いているシーンです。いや、どうしてこうなった……かはアニメか原作を見ていただくとして、ここの原作での書き方が変に官能的なんですよね。
歯磨きの最後の方、以下引用。
気が付けば。
気が付けば――知らず知らずのうちに、僕は火憐をベッドに押し倒していた。
左手は後頭部に添えたまま。
身体を乗せて、火憐を押し倒した。
僕よりもサイズのある彼女の身体は、しかし体重を少しかけるだけで――抵抗なくすんなりと、押し倒された。
火憐を見る。
火憐を見詰める。
うっとりしているかのような。
とろけているような。
そんな火憐の表情だった。
なにやってんのこの兄妹?
かくいう私も読みながらヘブン状態だったわけですが。
しかし、当時の私でも、エロ本でもないし挿絵があるわけでもない、こんなシーンで抜いてしまったことが不思議でもありました。そんな青春の一幕。
続いては『ロリータ』。言わずと知れた問題作ですね。実はこの本、興味本位で読み始めた当時の私には難解で、最後まで読んでおりません。先日買い戻しましたので、そのうちちゃんと読みたいと思います!
(未読本の山に加わる新たな一冊……?)
とはいっても、600ページほどある本文の200ページくらいは読んでたはずで、その中でも強烈に頭に残っているシーンがあります。
それは、主人公で小児性愛者(と呼んでいいのだよな、多分)のハンバート氏が、日曜の朝に娘のロー(再婚相手の連れ子、12歳)と二人きりになっている場面でのこと。かわいらしく無邪気に振る舞うローと、親子のじゃれあいを演じながら内に秘めた情欲をくすぶらせているハンバート。いたずらっぽく、リンゴや雑誌を取ったり取り返したりしている二人は、ついに身体の接触に至る。といっても、それはローにとってはたわいない遊びの休憩に過ぎず、一方のハンバートにとってそれは千載一遇のチャンスでもあった。ここからの描写が実にお見事です。以下引用。
次の瞬間、彼女はそれを取り返そうというふりをして、私におおいかぶさってきた。私は彼女のごつごつした細い手首をつかんだ。雑誌があわてふためいた鶏みたいに床に逃げ出した。彼女は身をよじって私の手から逃れると、後ずさりして、ソファの右手の隅にもたれた。それから、実にさりげなく、両脚を大胆にも私の膝の上に伸ばした。
もうそのときには、私は興奮の極みで、狂気と紙一重だった。しかし私には、狂人の狡猾さも備わっている。ソファに腰掛けていながらも、私は一連のひそかな動きで、仮面をつけた我が情欲を彼女の無邪気な脚になんとかぴったり合わせた。幼い乙女の注意をそらしながら、もくろみの成功に必要となる微妙な調整を行うのは、そんなにたやすいことではない。
……この本やっぱり他人に紹介しづれえな!
はい、ここで言う「もくろみ」がどういうことかはなんとなく皆さん察していただけると思います。気持ち悪いですね。
しかし、犯罪的なシチュエーションはともかく、次の記述には気持ちの面ではうなずけるところもあります。そこがこの本の第一の魅力ですかね?
以下、上の場面の少し先の引用。
まるで夏霞のように、小さなヘイズのまわりにただよう、つんと鼻をつくが健康的な熱気で、私は我を忘れた。どうぞこのまま、どうぞこのまま、行かないで……。食べ尽くしたリンゴの芯を炉格子に放り投げようとして、彼女が身体に力を入れたそのとき、若い重みと、破廉恥なまでに無邪気な脛骨や丸い尻が、拷問に耐えながらこっそりと仕事にいそしんでいる、張りつめた我が膝で位置を変えた。すると突然に、不可思議な変化が感覚を襲った。我が肉体で沸き立つ喜びを煮出すこと以外は、何事もどうでもよくなるような、そんな存在状態の平面に入ったのだ。
頭の中が"そのこと"だけになる瞬間ってありますよね、わかる。どうぞこのまま、行かないで…と言う気持ちも、悔しいけど、わかる。
この本を読もうとしていたのは確か6,7年前だったと思いますが、まるっと3ページに渡って描写されたハンバートの「もくろみ」と心情描写に対して、当時の私も感化されるものがあったのでしょうね。
おわりに:今、読んでみての感想
今回は「文章で抜く」ということに関して振り返ってみました。
ところで、本日のブログでとりあげた二冊の本、この機会に書店で購入して該当部分を読み返してみたんですよ。引用もしなきゃだし。
すると、面白くも悲しいことに気がついてしまいました。
まず、一つめの『偽物語(下)』の歯磨きシーンを読み返したところ……別に興奮しませんでした。
なんと、初見時には大いに興奮し、私を初めての「文章からの絶頂」に導いてくれた場面を読んでも何も感じないとは!?
続いて『ロリータ』のページをめくったところ……こちらは変わらずに興奮できました。それどころか、以前読んだときにはよくわからなかった表現が、読み直した今「そういうことか」と理解できるようになっていたんですね。
正直、以前は「人間か化物がかつて体験したことがないほど長い絶頂感の最後の脈動を、彼女の左の尻に思い切りぶちまけたのだった。」というところが一番の興奮ポイントだったんですが、今はむしろそこに至るまでの部分に熱を感じます。
これが大人になるということなのか…。
ある意味では私の感性や語彙力が育った結果だ、と言えそうです。しかし真っ先に浮かんだ感想は「汚れてしまったのか」でした。舌が肥えてしまったというのか何なのか。贅沢なことに、私はもうかつてのように、焦点の定まらない瞳で「にいひゃん……いいよ」と言う火憐ちゃんでは満足できなくなってしまったのかもしれません。
しかし、これを後退だとは思いたくない。進歩の結果なのだ。この悲しみを乗り越えてこそ、次への道が開くのだ!
それでも、ビビッドでセンセーショナルなあの頃の体験を今でも夢想してしまいます。同じような気持ちになれる日が果たして再び訪れるのだろうか?
ああ、悲しきかな、我が「性」よ……
夏の書店はメッチャ楽しいぞ!という話(+小中高時代の本の思い出)
本屋に行こう!
私はぶらぶらっと歩いて本屋に行って、ふらふらっと歩いて帰るのが好きです。特にこの時期は日没までの時間も長いし、涼しくなってきた夕方あたりに本屋に行くのがとても楽しい。休みの日には「暇だからとりあえず本屋行くか…」みたいな感じ。
それで、夏の時期に本屋へ行くと必ず目に入るコーナーがありまして。
それは、カドカワ・集英社・講談社がやっている文庫の夏フェアです!
いいですね~、書店の店頭に文庫本が平積みになっている様子には毎年心が躍ります。
毎年各社の文庫100冊程度がピックアップして売られていて、対象の本を買うとキャンペーンに参加できたり、しおりやブックカバーが貰えたりするやつですね。
『こころ』『羅生門』のような、もはや現代常識と言えてしまうような名作から、毎年目にする『夜は短し歩けよ乙女』とか、エッセイとか、まあ色んな本があるわけです。こういう機会に文庫本を買ってみるのもアリですね。
ちなみに、私はこのブログを書いているときに岩淵悦太郎の『悪文』がカドカワの夏フェアの対象だと知って、午後8時に急いで買いに走りました。明日から通勤時に読みたいと思います。
さて、せっかく本屋に行ったので、改めてじっくりと書店内を見てきました。すると目に留まったのが、「自由研究」や「自由工作」そして「読書感想文」の文字。そう、夏の文庫フェアの隣にある特設コーナー、小学生の夏休みコーナー(勝手に命名)です!
こちらもなかなかに楽しくて、自由研究のネタの見つけ方、みたいな本とか段ボールで作る自動販売機のキットとか、そういうのが売られているんですね。
そして読書感想文関連の本の多いこと。読書感想文コンクールの課題図書が売られているのはもちろん、読書感想文の書き方を指南する本がたくさん売られてました。やっぱり小学生の皆さんはこういう本を買って、書き方を勉強するんですかね。
まあ、学校だと当たり前のように読書感想文って書かされますけど、いきなり「ハイ書いて」と言われても何をどうしろっちゅうねん、って感じですもんね。なんだよ感想って。「面白かったです」じゃダメなのかい?
読書感想文の思い出
個人的に読書感想文自体は好きですが、書き方は教えてもらえないし、原稿用紙5枚ぶん書けって言われるし、こんなんじゃ文章嫌いを増やすだけだと思っちゃいます。
小学生の頃のほとけ少年はひねくれていたので、課題図書を読んでは「つまんねー」と放り投げ、賞をとったというどこぞの小学生の感想文を読んでは「ずいぶんと大人に媚びた文章だなあ?」と軽蔑していました。ヤな奴ですよね。
そんな私も小4までは辛うじて純真な心を保っていたので、読書感想文で何かの賞をもらった経験があります。どんな賞だったかは全然覚えてないんですが、その時の題材にしてた本が『ハッピーバースデー』だったことは間違いないです。確か大橋のぞみが主人公の女の子役でドラマにもなりましたね。
あらすじは、
親に虐待されてた女の子の声が出なくなって、祖父母のところで療養して心身ともに逞しくなって帰ってきて、声も出せるようになって、それから学校のイジメとか家族のイザコザとかが少しずつ解決していく。
みたいな感じだったと思います。
私は主人公のお兄ちゃんが好きですねー。もともとは親のいいなりで妹のことも適当にあしらってたんですけど、だんだんそんな自分に疑問を感じるようになって、最終的には妹の理解者となりつつ自分の生き方を見つけていく、っていう。細部は忘れてしまってますが、こんな感じだったね確か。
当時は純粋に感動して、ただ思ったままを感想文に書いたんだと思いますが、なんか学校の先生たちに気に入られたんだと思います。いえーい。
個人的には読書感想文で賞をとろうと思ったら、本選びの時点で7割は決まってると思います。いや、今の読書感想文事情は知りませんが、少なくとも私が書いていた当時はそうだったという実感がありますよ。先生に気に入られそうな本(道徳的示唆に富む本や、環境や社会の問題について書かれた本などがベター。)を読んで、先生に気に入られそうな感想を書いたもん勝ちです。「改めて気づかされました」「ハッとさせられました」「私も〇〇のように××しようと思いました」を組み合わせて君だけの最強デッキを作ろう!
どうせなら読書感想文よりも「読書プレゼン大会」とかのほうが面白そうじゃないですか?自分が面白いと思った本について文章や絵を描き、クラスで発表して、面白そう!と思わせたら勝ち、みたいな。プレゼン力って後々きっと役立つと思うし、「面白いと思わせる」っていう明確な目標があったほうがやりがいもありますって。
読書感想文って何のために書いてるのかわからないのが問題だと思うんですよね。学校の宿題で、書けって言われるから書いてるだけで。なんか高尚なこと書かなきゃいけないのかな~みたいな気にもなっちゃうし。
本が面白すぎて困った話
ついでにもう少しだけ自分と本の話をさせてください。
読書歴二十余年、それなりに本を愛してきた私ですが、一番読書をしていたのは間違いなく中学生のときです。
中1のとき、学校の図書室で『キノの旅』に出会い、プロローグとエピローグの意味に気づいたときには感動と興奮でベッドの上を転げ回ったことを覚えています。
国語の先生に勧められて読んだ『ペンギン・ハイウェイ』は、夜寝る前に「ちょっと読もうかなー」と読み始めて気づいたら2時間経ってて、そこまで集中していた自分に自分でめっちゃビビりました。
『ペンギン・ハイウェイ』はどこを切っても"カワイイ"に溢れている。それもあざとく見せびらかすようなかわいさではなく、奥ゆかしくて面映ゆくて、眺めているとそっと抱きしめたくなるような、そんなかわいさに溢れた珠玉の一冊だと思っています。
本文冒頭の一節
「ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。
だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。」
そう語る、主人公のアオヤマ君。なんだかもうこの冒頭の語り口からしてめっちゃくちゃカワイイ。そんな彼は小学4年生だが、「他人に負けるのは恥ずかしいことではないが、昨日の自分に負けるのは恥ずかしいことだ。」と研鑽を積むことに余念がないし、「結婚してほしいと言ってくる女の人もたくさんいるかもしれない。けれどもぼくはもう相手を決めてしまったので、結婚してあげるわけにはいかないのである。」と堅気で一途な面も持っている。さらに、本文中にはアオヤマ君が真面目に「おっぱいについて」考察するシーンが入っており、もうなんだか私にとっては師匠のような存在です。
「尊敬する人物を10人挙げよ」と言われたら、私は確実に4番目までに彼の名を挙げるだろう。そんな感じ。
『ペンギン・ハイウェイ』の作者は森見登美彦だが、同作者の『夜は短し歩けよ乙女』を読んでいた中学生の私は、「本が面白すぎて遅刻する」という珍事を起こしてしまいました。
毎週月曜日には体育館で朝礼があるんですけど、教室で『夜は短し歩けよ乙女』を読んでいた私はそのことを失念していて、気づいたら周りの人はみんな体育館に行ってしまって誰もいないという。慌てて教室を飛び出したわけですが、なんだかそこまでハマることのできる小説に出会えたんだという事実が感じられて、遅刻したのにむしろ嬉しかった記憶があります。ちなみにその時読んでいたのは、本文内で初めて「おともだちパンチ」をかました辺りのシーンです。いやあ、この辺を読んでたら夢中にもなるわいな。
おわりに
さて、今回はなんだか趣味と自分語り全開の記事になってしまいました。
今の自分は学生の頃よりも読書量がぐんと減ってますが、いつかまた、これまでの読書人生で何回かあったような感動を味わえたらいいなあと思う次第であります。
とりあえず、みんなも本屋に行こう!
その前に、私はこちらの「買ったけどまだ読み終わってない本」たちを片付けることにするぜ!
うわぁ、頑張ろう…
乳首は結果的に隠れたからこそ、隠すことになったのだという話
はじめに
私は最近ウマ娘のアプリゲームにハマっております。最近というか、波がありつつもまあ1年以上、続けてプレイしておりますね。
さて皆さん、ウマ娘をプレイしてて一番ドキドキする場面ってどこでしょう。ウマ娘をプレイしていない読者諸氏には申し訳ないですが、もう少しお付き合いいただければ幸いです。
ウマ娘においてドキドキすることは多々あると思いますが、私はこれです。
これというか、この後の
これです!
いや、何がドキドキするんだよとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、私はこのキャラクター(マチカネフクキタル)のこのアングルを初めて見たとき、やたらとドキドキしてしまったことをよーく覚えています。やっぱり黄色いから目を引くんでしょうかね。
これはまあきっと見せパン的なやつというか、たぶん、いやほぼ確実に下着ではないと思うので、見たらアカンやつというわけではないんでしょう(そもそも見てはいけないものだったらゲーム側がこんなに堂々と見せてこない…と思う)。でもやっぱり見てしまうし、見た直後には「見てはいけないものを見てしまっている」感がぬぐえないんですよね。
これはなぜか?と考えた結果、「普段はバッチリ隠れているから」ではないかと思うんです。
このマチカネフクキタルの衣装はそこそこ裾の長いスカートで、普通に立ってるぶんには全力その場大回転でもしない限りスカートの下が見えることはないと思います。それが因子継承ダッシュのバックアングルでしっかりと見えてしまうので、こちらもしかと見てしまうわけですよ。
やはり、普段隠れているものがふいに見えると興奮してしまうのが我らの性(さが)…。
そこで一つの発想が浮かんできました。それは、
見えると興奮するから隠しているのではなく、隠しているからこそ見えると興奮するのでは?
ということ。
なんだか卵が先か鶏が先か、みたいな話ですが、せっかくなのでもう少し真面目に考えてみます。
男女の乳首問題
男女どちらも持っている同じ体の部位でありながら、男性は外に晒してても特に何も言われないのに、女性が晒け出していると「大丈夫か?」となってしまうもの、それこそが乳首です。
同じ乳首なのになぜここまで差がついてしまったのか?そこには授乳とか宗教的価値観とか西洋文化の影響とか、様々な理由づけができると思いますが、私は「隠しているから、見えたときに問題が発生するようになった」という方向から仮説を立ててみたいと思います。
結論から言いますと、女性の乳首は「別の必要性から隠すことになってしまったが、それ故に隠し続ける必要が出てきたのだ」ということです。
※ 以下、特に調べたりもしていない、ただの思いつきからの論理です。どうか生暖かい目で見守ってください。
昔は女性も胸を露出していた
人間の長い進化と文明の過程において、全くの初めから女性が胸を隠していたとは考えにくい。となれば、どのくらいまで時代をさかのぼるのか、私にはとんと検討がつきませんが、人類史の途中、いつ頃かのタイミングで女性は胸を隠し始めたはずです。
なぜ胸を隠したのか。これはまったくの想像ですが、「邪魔だったから」ではないでしょうか。
乳房というのは脂肪の塊。放っておけば歩く度にぶらーんぶらーんと揺れるだろうと想像します。全裸で飛んだり跳ねたり走ったりしたら、男の私でも「胸というのは、こういうときに暴れ回るのだろうな」としみじみ考えるのに不足はありません。つまり人類は、自身の胸に好き勝手させるわけにはいかなかったのです。これはなんとかしたい。
そんな人類には他の動物にはないアドバンテージがありました。それは「二足歩行」そして「道具作成能力」です。人類は、乳房を首や肩に"ぶら下げる"という画期的な方法を用いて、胸大暴れ問題を解決したのです(ブラジャーの発明)。
乳首は隠したのではない、隠れたのだ
胸を布やヒモによってぶら下げることにより、胸が揺れることは少なくなりました。
おや、そういえば乳首はどうなったんだ、乳首は。
さて、乳首の話に戻ります。皆さんご存じのとおり、乳房の上の乳首というものは、普通に立っていればだいたい斜め下方向若干左右開きの向きでポジションをとっています。
よくイラストとかを見ているとツンと上を向いた乳首もありますが、現実にもそういう乳首はあり得なくはないと思いますが、というか一部のモデルとか女優とかそういう人もいますが、でも自然のままにしておいた乳首はどちらかというと下を向くと思います。
胸にも多くの脂肪を携えたお相撲さんの乳首(NHKで存分に見られる合法乳首です。)は上を向いていますか?いや、ほとんど下向きのはずです。
個人的には、上向き乳首を維持している人はかなりの努力家だと思います。
さて、特に努力をしなければほとんどの乳首は下を向いてしまう。そこへ布を使って下から乳房全体を持ち上げようとすればどうなるかというと、必然、当然、意識せずとも乳首は隠れがちです。特別に乳首を隠そうとせずとも、「胸が垂れて揺れて邪魔なので布で持ち上げました!」という別の利便性のために、女性の乳首は付随的に隠れがちなポジションへと至ったのです。
あと、乳首というのはたいへんデリケートな部位として有名です。長距離ランナーなんかは、走ってる間に服が乳首に擦れて痛い思いをしないよう、様々工夫を凝らしていると聞きます。私も、かつて「乳首を弄ると気持ちいいらしい」という話を聞いて闇雲につまんだりつねったりした結果、カサブタができてしまって数日痛かった経験があります。いやー、若気の至りってやつですよ。
乳首を無暗に擦ったりつねったりするのはNGってことですが、女性のほうが男性より乳首が擦れやすいということは少し考えればわかります。乳房があるぶん上下の可動範囲が大きいですし、胸がぺったんこよりも脂肪があったほうがそのぶん乳首も前に出っ張った位置にあるわけなので擦れやすいですね。
そういった点からも、乳首を隠すことの必要性が感じられるような気がしませんか。
いずれにしても、原初における女性の乳首は「見えると困るから隠した」わけではなく、「利便性を求めた結果」あるいは「隠れていたほうが得することが多いから」だんだんと隠れていった。という仮説が成り立ちます。
その後のことは皆さんご承知のとおり、「普段隠れているものが見えると嬉しい理論」により、一度隠した乳首を再び衆目に晒すのは抵抗のある行為となったわけです。合掌。
おわりに(余談)
っていうか、それなら見えると嬉しいものは見せてもいいんじゃない?…とはいかないのが人間社会。見えると嬉しくても、見せるのが嬉しいとは限らないし、見えて喜んでる人を見るのは正直あんまり喜ばしくなかったり。
この辺はまた一層カオスというか、考える事柄も多くなりますので、ここらで一旦筆を置きましょう。
今回私が言いたいことは「隠すことによって性的興奮を覚える人が増える→エロスは人間の行動によってある程度後天的に作られることもある」っていうことです。
だから隠せ、とか隠すな、とか言いたいわけではありません。ただ、現象として、そういうこともあるかもしれないよ。と、そういう考えに至ったのでここで語ったというわけなのです。
重ねて申し上げますが、今回のブログの内容はなんらかの書籍や参考となる文献をあたったわけでもなく、99.9%私の脳内で考えただけのガバ理論です。どうかその点はご理解の上、明らかな間違いがあったら「コイツはバカなことを言ってんな」と鼻で笑いながらコッソリ教えていただけると嬉しいです。
っていうか、今回の話題に関係しそうな書籍とかあったらめっちゃ読んでみたいからぜひ教えて。
私は「性的に感じられる」「見ていてドキドキする」といった気持ちには、理由というか、何らかのメカニズムが存在していると思っています。
たとえそれが的外れであったとしても、こういったことを考えるのは楽しいし、自分に対する理解も深まります。
まさに「性癖」は「癖(くせ)」そのもの。癖にはその人の無意識の行動が表れるものです。自分の性癖を観察してより深く考えることは、自己を内省し新たな自分を発見することにもつながると思います。
自分はなぜこれが好きなのか?こう感じるのは何故なのか?これのことを好きな人はなぜ、どこが好きなのか?
そういったことこそ、私がこのブログで一番語り合いたいことでもあります。
それでは、最後にお誘い上手のフクキタルを見ながらお別れしましょう。
この子結構ストレートに「一緒に過ごしたい」って言ってくるから卑怯なのよなー、マジでかわいい。
ここのところ、コロナ禍で大変な年が続きましたが、今年は各地の夏祭りや花火大会も無事に開催されるといいですねぇ。
ではでは。
ブログを始めました
こんにちは、ほとけと申します。
ふと思い立ったので、この度、人生初のブログを始めてみました。どうぞよろしくお願いします。
私は普段Twitterを主な生息地としています。思いついたことをひょいひょいと気軽に流していけるTwitterはとても居心地がいいのですが、たまには長文を書きたいこともありますし、「あれ、そういえば以前似たような話題で同じことを言ったような?」と自分の発言を見直したくなることも多々あります。
そんなときのために、情報を蓄積していくメディアである「ブログ」を活用してみたいと考えたわけです。
ブログのタイトルは「(個)性的に考える」です。「性的」の性は、「性格」「性質」「性分」など、その者の根幹や性質に深く関わる熟語と同じ文字が使われています。ほかにも、「性別」が違えば同じ人間でも体のつくりからしてまるっきり別なわけですし、「性」一文字で「さが」と読んで、その意味は
①(自分ではどうしようもない)うまれつき。性質。
②運命。常のならわし。 (岩波 国語辞典 第8版より)
といったように、まっこと「性」というものは私たちの存在そのものに関係してくる話題なわけです。
しかし、世の中で「性的」といえば、なんだか低俗なもの、距離を置いたほうがいいもの、というイメージがあるような気がします。それらのイメージは間違ってはいないと思いますが、しかしだからといって一方的に遠ざけるのもつまらない話。
私は「性的」な話をするというよりは、日常の気づきからちょっと斜めの入射角で物事を考え、そこに性的なエッセンスを少し混ぜ込んで、おもしろおかしく、しかして真面目に、くだらないことを考えていきたいと思っています。
そういった試みから、ただのエロスに留まらない「性的」なもののおかしさ、面白さが見えてくるといいなあ、とそう考えています。
あと、ついでに個性も出して「個性的」に語ってみたい。そんな思いからブログ名を「(個)性的に考える」としてみました。
まあ個性なんてのは出そうと思って出るものでもありませんし、こちらはあくまでオマケです。ブログ名の「個」に括弧がついているのもそういうことです。
さて、それでは、三日坊主に終わるかもしれませんが、せっかくなので飽きるまではブログをしっかりとやっていきたいと思います。
どうぞ皆さんよろしくね。
あと、いつも出没しているTwitterのほうもヨロシク